今日のメンテナンスで年末年始イベントが終わってしまいますね…
新刀剣男士「髭切」と「膝丸」を入手できていない方は恐らく、16、17日の土日が追い込みだったのではないでしょうか。管理人は年明けに髭切を無事にお迎えでき、その後に膝丸もお迎えいたしました。現在は明石国行を探すべく、京都・三条大橋に再び、こもっている最中です。
鍛刀キャンペーン対象のキャラが一人も鍛刀で来なくてメンテナンスギリギリまで粘ってみたものの、駄目でした。物欲センサーとは恐ろしいものです。
さて、今回は「髭切」「膝丸」の史実についてです。
この二振りはゲーム内でもあるように「名前が何回も変わっていった」刀です。それも含めて二振りの史実を簡易的ではありますが説明していこうと思います。
尚、個人が調べたものになりますので情報や内容は必ずしもというわけではありません。所々、おかしいなという部分もありますが皆様の参考になれば幸いです。
▼髭切(ひげきり)…平安時代に源満仲が作らせたとされる太刀。名前の由来は「罪人で試し斬りをした際に顎髭もろとも斬り落とした」ということらしい。それ故に「髭切」となったがこの刀はそれ以来も名前がころころと変わっていく。
名前を変えていったのと同時に作者、どんなものを斬ってこの名前というもの、平安時代頃の刀は特にあやふやなものが調べていて多いと思います。
髭切は上記のように最初は「試し斬りで髭までスパっと斬れたから髭切」になるそうです。
その次に付けられたとされるのは「鬼切(おにきり)」→「獅子の子(ししのこ)」→「友切(ともきり)」となっていくそうです。
▽「鬼切」…諸説様々、ありますがどの内容も「鬼を切った、鬼の腕を切ったことから」等共通点はその名の通り、鬼を切ったことに由来されるようです。
▽「獅子の子」…この刀が終夜、吼えている、それが「獅子の音」に似ていた為にこのような名前になったとされています。膝丸の時にも説明いたしますが弟刀とされる彼も同じようなことで名前が変わっています。
▽「友切」…名前が獅子の子に変わってから「小烏」という刀をともに立て掛けていた時に二振りが同時に倒れてしまう。獅子の子が共にあった小鳥の中茎を断ち切ったことから「友切」となった。
しかし、この「友切」と改名した後、当時の持ち主「源為義」の子「義朝」に譲られる。その後、源氏の父子兄弟が分裂して戦った「保元・平治の乱」によって義朝は更に友切の名前を変えることにしました。
「保元の乱」にて敗者となり各地に逃げ回っていた義朝の夢枕に八幡様から「友切の名前を戻したほうが良い。お前の今の現状はその刀の名前のせいだろう」と言われ、名前を「髭切(鬼切に戻したとも言われている)」に戻したという。
その後、名前が変わることはなく、戦国時代に入るまで北条氏や足利氏等の元にもあったとされている。
※補足として鎌倉幕府成立後、執権北条貞時の手にも渡っていたとも。さて、この「北条貞時」といえば前回、鶴丸国永欲しさに墓を暴いた人ですがもしかすると、髭切と鶴丸はここで対面しているのかもしれません。
そして、髭切は明治期に質屋に流されてしまいますが滋賀県令籠手田安定により取戻され、最上氏へ返還。最上氏は流出することを恐れ、北野天満宮へと寄贈。重要文化財となり、今に至っているという。
▼膝丸(ひざまる)…平安時代に髭切と共に作られた兄弟刀の一振りとされている。髭切と同じようにこちらも名前がころころと変わっている。
最初は「罪人の試し斬りで膝まで斬れた」というのが始まりである。兄の髭切同様に正直、試し斬りで髭とか膝が斬れたからとは安直ではありますがわかりやすいといえばわかりやすいですね。
さて膝丸はその後「蜘蛛切」→「吠丸」→「薄緑」と名前が変わっていきます。兄が鬼を切れば、弟は蜘蛛を切ったのかというのが最初の感想でした。ゲーム内でも彼らの名前が変わっていくのが表現されていますが刀ってそんなに名前を変えてよいものなのか……
▽「蜘蛛切(くもきり)」…源頼光が熱病で苦しんでいる中、この膝丸が原因の土蜘蛛を切ったことから「蜘蛛切」となった。
▽「吠丸(ほえまる)」…源為義の代には「夜に蛇の鳴くように吠えた」ということで「吠丸」となった。髭切も夜に鳴いたとされるが弟もなのかと驚きました。
▽「薄緑(うすみどり)」…その後、牛若丸で有名な源義経に渡り、「薄緑」という名となった。由来は膝丸が義経に渡るまでに為義の娘婿・熊野別当教信に譲られた際の熊野の春の山とされている。
現在は旧国宝の重要文化財・大覚寺所蔵となっている。
※補足として膝丸の銘は「○忠」となっており、この「○忠」がはっきりとなっておらず、現段階でも作者がはっきりされていないそうだ。ゲームとコラボした京都博物館でのイベント時では「膝丸/薄緑」は「長船派の祖の一人、古備前近忠」なのではないかとあるがこの「古備前近忠」の有銘作が現存していない為に比較ができないとも。なので膝丸同様、兄である髭切の作者も不明のままである。
ここで改めて二振りが「兄弟刀」であることを思い出してほしい。名前の変わり方も似たようなものであると同時に彼ら自身も刀として主を源氏の家族間で変えていきます。
源氏の父子兄弟での戦「保元・平治の乱」その間にこの兄弟刀は敵対同士となります。兄の髭切は頼朝の元へ、弟の膝丸は義経の元へ。
義経が討たれた後、薄緑は兄の頼朝の元に渡り、この兄弟刀・二振りは再会したという。
平安組の源氏の刀と言えば「今剣」と「岩融」です。この二振りは義経の守り刀と義経の家臣・弁慶の薙刀とされています。膝丸はこの二振りとは「保元の乱」では共にいたとされていますが髭切は頼朝の元におり、兄弟刀、同じ源氏の刀でありながらも敵対していました。
最終的に今剣は義経の自害の時に使われたとされ、岩融は弁慶と共にあったとなり、膝丸は兄の元へ戻るという結末。
この二振りは「源氏重代の刀」「源氏の重宝」とされています。
現在は京都国立博物館にて展示がされています。ただし、「髭切」は昨日、1月17日までとなっていました。「膝丸」は2月21日までとなっています。管理人は東北住みなので簡単には行けませんがお近くの方や行けそうな方は行ってみるのも良いと思います。
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