早速、今回も刀剣乱舞に出てくる「粟田口派」の刀剣男士の史実について簡易的ではありますがまとめてみました。
今回は「平野藤四郎」「前田藤四郎」です。ゲーム内では同じ絵師様が担当されていること、元は同じ家にいたことから双子のような外見をしている二人。
平野は現在、御物となっている刀剣男士の一人です。しかし、これから説明するように元は前田家に伝来していたとされています。
▼平野藤四郎(ひらのとうしろう)…粟田口吉光作の短刀で現在、御物の一つ。由来は木村重茲(きむらしげこれ)が摂津(せっつ)の商人・平野道雪から購入したことが由来とされています。享保名物帳によればこの短刀を1分摺り上げ、豊臣秀吉に献上。秀吉は前田利長に譲り以降、前田家に伝来。彼は徳川家と前田家を結構、行ったり来たりしていたらしい。その後の明治時代以降は前田家より明治天皇に献上され、皇室御物として現在に至っています。
彼は皇室御物、つまりは皇室の所有物とされている為、一般的に公開されることはほぼ、ありません。補足としては過去に同じ御物である鶴丸国永は三日月宗近とゲームの初期刀の一つ、山姥切国広と共に公開されています。昭和57年に開催された特別名刀展にて展示されていました。場所は東京国立博物館だったそうです。
▼前田藤四郎(まえだとうしろう)…粟田口吉光作の短刀。前田利政から嫡子である直之に伝わり、前田利常に献上。その後は平野同様に前田家に伝来。平野と違い、彼は前田家にほとんどいたとされています。短刀である為、守り刀としての役目の印象が特に強くゲームの中で反映されている。
彼は享保名物帳と呼ばれる江戸時代の武家社会において名刀の出自や伝来を公的に保証して格付けされたもの。簡単に言えば失われた刀や名高い名刀・約250口を収録した台帳である。ちなみにこのリストの最初の名物が「厚藤四郎」である。前田もこの名物帳に記載されています。
現在は重要文化財に指定されており、前田家伝来の文化遺産を保持する前田育徳会が所持しているそうです。
さて、これで現段階で実装されている粟田口派の刀剣男士は以上になります。全員で粟田口派の刀剣男士は鳴狐、藤四郎兄弟含め12人になります。現在、52人の実装ですがそのうちの12人が粟田口派。短刀は今剣、小夜、愛染の3人以外が粟田口派となっています。これだけ見ると圧巻ですね。
一期一振と鳴狐を除く藤四郎兄弟は皆、短刀で幼い容姿をしていますが皆、鎌倉中期頃の生まれとなっている為、平安組に次ぐ年齢となっていますので他の刀剣男士に比べると断然、年上です。
かろうじて粟田口より年上なのが前々回でも少し、触れましたが「燭台切光忠」になります。とは言っても鳴狐と同じくらいの鎌倉時代の刀なので二人は大体、同い年。
更に補足すると太刀である一期一振が兄として設定されていますが作られた時代としては皆、鎌倉時代中期。年齢を考えると750歳くらいなので藤四郎兄弟の中で誰が上とか下なのかという序列的なものは詳しくはわかっていません。まぁ、確実に鳴狐が年長であることは確かであろう。
次の更新では鎌倉時代生まれの刀剣男士をまとめて紹介したいと思います。
とは言っても残りの鎌倉時代生まれの刀剣男士は後、4人になります。次に紹介する1人が若干、説明が偏ってしまいそうになりますがよろしければ閲覧してくださると幸いです。
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