そういえば江戸中期って主にどんなことがあったのか。刀剣乱舞にて新実装の「延享の記憶」
ゲーム内での説明では細川宗考(ほそかわ むねたか)が殺害されたところを伊達宗村(だて むねむら)助けたというもの。助けたというよりは細川家の家臣に「まだ、主は生きているから早く、手当てをしてやれ」と指示を出す。
もちろん、宗考は斬られた際に死亡しているが彼にはちゃんとした跡継ぎがいなかった。なので家臣は弟の重賢を末期養子に指名。幕府に届出を出した後で宗考は介抱の末、死去したとされている。
まぁ、ざっくりとした説明はこんな感じです。
宗考を殺したのは旗本・板倉勝該(いたくら かつかね)です。何故、殺したかというと単純に人違いでした。
ことの発端は板倉勝該が板倉家の本家筋にあたる大名・板倉勝清が「勝該が何かをやらかさぬようにうちの息子を養子にして、跡を継がせよう!」というのを勝該がよく思わなかったこと。
本家の人間を斬ろうとしたがなんと本家と細川家の家紋を間違える。そして、本家の人間と宗考を間違えて斬ったのです。
板倉家と細川家の家紋は同じ九曜紋なのですがよく見ると違います。
細川家の九曜紋は黒い丸が九つという一般的なもの。それに対し、板倉家の九曜紋は九曜巴と呼ばれる丸の中に人魂が三つ集まったものが全部で九つという家紋。ちゃんと、見ればわかるものなのですが本家の人間を斬りたいという一心だったのか彼は家紋を見間違えてしまいます。
斬られた宗考は最初にも書いた通り、死亡していますが伊達宗村(伊達政宗の子孫筋にあたるそうです)がたまたま通りかかり、助けたという感じ。
たまたま通りかかってこういった機転をきかせるのはある意味すごいことですね…
それからは弟を末期養子(死に際に養子に迎えること)にすることで事なきを得たようです。
それから細川家は家紋を少しだけ変えたとも言われています。
細川家にも九曜紋は伊達政宗の家臣・片倉小十郎(本名・片倉景綱 かたくらかげつな)も使用していました。
某戦国ゲームの伊達主従の小十郎の一部、紋にも九曜紋が使われています。
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