あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2017年で刀剣乱舞は二周年となります。早いですね。サービス開始初日に始めてから来週でさにわ就任も二周年。
レベルは98で二周年でさにわレベルが100になります。驚きです。
さて、今回は新しい刀剣男士が発表されましたね。
…いやはや、亀甲さんや大包平さんに負けないくらい濃いキャラが来ましたね。待望の村正の刀剣です!
▼新刀剣男士「千子村正(せんごむらまさ)」
蜻蛉切さん待望の村正の打刀です。さらに読み方は違いますが同名の刀がゲーム「朧村正」に登場。
村正の刀は一般的に妖刀として広まっています。後者の朧村正というゲームでも妖刀として扱われています。
今回発表された千子村正は初代村正の作かもしれません。
詳しいことはわからないのですが村正は徳川家に縁のある刀。上記の妖刀としての伝説が有名ですが徳川家の人間が殺害された時や謀反で死罪となった際の切腹に使用した刀はどれも村正の刀であり、中には千子村正の脇差もあったという。
しかし、あくまで千子村正の作品の打刀ということだけが現段階でわかっていることなので詳しくはわからないです…
▼徳川家と村正伝説の真偽
尾張徳川家は家康の形見として村正を伝承、現在、徳川美術館に所蔵している。そのことから家康が村正を嫌っていたとされるのは後世の創作であると断言している。
つまりは妖刀伝説は架空の話であることが研究家によって発表されているらしい。
村正は徳川領の三河に近い伊勢の刀工。三河を始めとする東海地方には村正一派が多く存在し、徳川家家臣の中には村正の刀を使う者も多かった。
何より徳川四天王の一人、本多忠勝の所持していた蜻蛉切も村正一派の作品である。
▼何故、「徳川にとって」の妖刀だったのか
この理由は定かではないとされている(参考:Wiki)wikipediaにある一説では家康が村正のコレクターであったこと、死後の形見分けとして一族の主だった者に村正が渡されたことが徳川一門のステータスになったという。
他の家が村正を持ちたがらなかったのは徳川一門が所有していることが多かったことから遠慮や恐れ多いと思ったから。
だが、後代になると遠慮の理由が曖昧化。次第に「忌避」に変わった。
しかし、家康の遺産相続の台帳には村正の作は2振りしか記されていない。
このことから他の理由も可能性としてはありえないわけではないでしょう。
▼最後に…
徳川家、特に家康以降の代から村正の刀が妖刀扱いされているのかはまだまだ、検証段階にあると思います。
ですが妖刀である、そうではないという確証もどっこいどっこいだと思います。
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