今日の14時からゲームのメンテナンスが始まりますね。大阪城イベントは管理人は15階まで現在、進んでおります。後、5階か…うーん、博多君も後藤君ももう、いるのでもう1人欲しいと言えば微妙です。鍛刀キャンペーンで博多君が入手できるから何回かデイリー任務がてら回したのですが全部が脇差でした。終了のお知らせです。
気がついたのは管理人になかったのは鍛刀運じゃなく、ドロップ運だったのだと。
鍛刀運もあると言ったらないに等しいですが。レア刀剣は全て鍛刀で出したせいでドロップ運がないのだと最近、真剣に考え始めました。物欲センサー恐るべし。
さて、今回も実装されている刀剣男士ゆかりの刀剣をご紹介していきたいと思います。今回は前の記事でも紹介はしているのですが改めてまとめてみようと思います。
▼ゲーム内での実装はされていませんが伊達政宗が愛刀としていた刀をいくつか紹介します。
▼くろんぼ斬景秀(くろんぼぎりかげひで)…鎌倉中期の備前長船派景秀の作。光忠の弟とされています。景秀は政宗が慶長の役の際に使っていたという。景秀といえば某戦国ゲームの青い人の初期装備でもあります。
由来は黒人を切ったからと言われているそうですが伊達家の記録では「蔚山攻めでサル(猿をくろんぼという)を切った為の号だそうです。
猿や猫などのすばしこい生き物を切るにはよほどの腕がないと斬れないとされ、政宗自身の腕の確かと長船派の中でも屈指の名刀とされたことからこの異名を付けたとも思われているそうです。
▼亘理来国光(わたり らい くにみつ)…来一門、来国光の作品。元は伊達家重臣である亘理兵庫頭入元案斎の所持。彼の死後に遺物として伊達宗家に献上されました。由来はその名の通り、亘理家の所蔵にちなむものから。
政宗は登城の際に差料(さしりょう)としていたと伝わっています。
ちなみに差料とは「江戸時代、武家諸法度の第一次改正により、武士の正式な指料が大小二つの刀を差すように決められた」ことから。
まぁ、簡単に言えば腰に差す刀のことです。武家諸法度の時には大きい刀と小さい刀の二振りを差すのが当たり前だったようです。
▼鎬藤四郎(しのぎ とうしろう)…粟田口藤四郎吉光の作品。由来は凌ぎ造りであることから。来歴は室町幕府の管領細川家から諸家を経て、織田信長が手に入れる。その後、三七信考はこれを北条氏へと贈り、小田原城攻めにて黒田如水が買い求め、豊臣秀次に献上。秀次自害の後、この刀で不破万作が自害。さらに豊臣秀吉の手に渡り、ここで秀吉の死後遺物として伊達政宗に贈られました。長い間伊達家に伝来するも、寛永13年に政宗の遺言で将軍家に献上。その後、明暦の大火にて焼失となってしまう。
調べてわかったのは実装されている刀剣男士と同じ刀派の刀がいろんな武将にいたということ。鎌倉~戦国時代となってくると様々な戦の中で紛失したり、主を転々としたり。いろいろあるようです。
ですが中には一つの家から離れることのなかったものもいるようです。
さて、今回はこのへんにします。また、次の記事にて閲覧してくださると幸いです。
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